我がふるさとは、甲斐の国ホクト市。高校卒業までの18年間を過ごした町。山梨県は昔は北巨摩郡、南巨摩郡…といった郡制だったが、郡制は廃止され市町村合併で現在に至ります。
子供の頃は、とにかく田舎くさい感じがして、テレビで観たり、深夜ラジオで聴いたりした都会に憧れていたものです。そして田舎から旅立ち、東京の大学を卒業して、東京の企業に就職しました。
あるとき会社の年配の先輩の方から声をかけられ、「出身はどこ?」と聞かれました。「山梨の八ヶ岳の麓の須玉ってご存じですか?」と答えました。
その方が驚いたように、「えっ、すごくいいところの出身だね!、よく遊びに行くよ!」と言われて、初めて自分の生まれ故郷の素晴らしさを見直すことに気づかされたのを今でも忘れません。
そう言われてみれば、あまりに子供の頃からの日常で身近な自然や風景だったために、ほとんど気づくことがありませんでした...
よくよく振り返れば、中学の屋上から手が届くように眼前に見えた「甲斐駒ヶ岳」、南に「富士山」、北に「八ヶ岳」、東に「茅ヶ岳」という風に、あまりにも見慣れた山々であったが、そのパノラマにような壮大さにあらためて気づかされたのでした。
今の言葉で言う、いわゆる「中坊」でしたから、日々の落ち着かない追いかけっこ等に夢中で、当たり前のように観て触れていた自然には何ら感動も覚えなかったことは不思議ではありません。
毎日2キロ近い道を、徒歩で通学しながらも、足下の道ばたの草木や昆虫、爬虫類をいじり回していたのは、ごくごく普通のことだったと思います。
高校時代は、バス通勤で、毎日家から南方向の韮崎に向かってバスで20-30分走って、その間ずっと、窓越しに「富士山」と観ていたわけですが、あまりに日常に溶け込みすぎて何ら感動を覚えることはありませんでした。
そんな、生まれ故郷が今では愛おしくてなりません。いつかは恩返しをしたいと考えています。